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高高関西四三会掲示板
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植田洋二君のこと 投稿者:篠原道夫 投稿日:2024/02/04(Sun) 18:38 No.560  
 訃報です。植田洋二君は去る1月24日夜、自宅(堺市南区)にて虚血性心疾患で亡くなり、葬儀も終わり、遺骨は現在自宅に置いてある、とご子息の植田大洲さんから連絡がありました。
 本日弔問、お悔やみに行ってきました。今後はご子息の自宅(神奈川県横須賀市)に遺骨は帰るとのことです。
ご冥福をお祈りいたします。


高高関西四三会の集まり 投稿者:篠原道夫 投稿日:2023/11/11(Sat) 12:00 No.559  
 題名につきまして、高齢の(あいや恒例の)関西四三会が去る10月28日(土)大阪駅のサウスゲートビルうを佐にて行われました。実に4年(?)ぶりのことですが、男性出席者は菊池、木村和、木村純、久保敏、篠田、篠原、筒井、濱野、女性は岡部、久保、日野で全部で11名、中でも筒井、久保(女)、北山の3名は関西玉翠会にも参加(北山君は柔道の集まりで四三会は欠席)されたことも報告致します。
 食事はとても美味しく頂きました。酒量は減ったような気がするのは、皆さん健康には気を付けているのかと思います。
 菊池君、筒井君お世話になりありがとうございます。お名前の敬称略ごめん、間違いやもれが有ったらもっとごめん。次回はいつになるか、植田も楽しみにしております。


植田洋二君引越し 投稿者:篠原道夫 投稿日:2023/11/09(Thu) 22:09 No.558  
 四三会の皆様、お久しぶりです。 題名につきまして、今さら報告するほどのことも…と思いましたが彼の前向きの姿勢にいたく感心し、皆様に連絡致します。
 つい先日まで住んでいたところは築40年以上の泉北ニュータウンで周りの住人も減少傾向で、3階の昇り降りもヘルパーの介助を必要とし外出もままならずという状況でした。
 引越し先へ本日行ってきてびっくりしたのは、全面バリアフリーで玄関から居間やらキッチン、風呂、トイレ、ベランダまで段差は一切なしです。場所も駅近にあって買い物等は便利なのですが、電動くるま椅子での移動が今まで十分ではなかったので、あらためてのリハビリが彼の今後の課題です。
 先日の4年(?)ぶりの関西四三会は移動の自身が無かったので欠席したが、次回は一人で参加できるように頑張るとのことです。 
 以上、植田君の近況報告ですが、彼の頑張りは私をはじめ皆の模範となるといっても良いと思います。「フレーフレーウエターフレーフレー四三会」 ああ声が小さくなった。



お久しぶりです 投稿者:たまっち 投稿日:2023/05/12(Fri) 17:53 No.557  
WHOのコロナの緊急事態宣言解除を受け、43会の活動も再開の時期に来ました。
今年は皆さまとお会いできるのを楽しみにしております。


二作目『海鳴りと砂塵』を出版しました。 投稿者:篠田耕郎 投稿日:2022/07/04(Mon) 11:47 No.555  
昭和43年卒業の篠田耕郎(たかお)です。
筆名「讃 紫雲」での第二作目『海鳴りと砂塵』(文芸社)が7月に出版されました。
この度は故郷である高松を舞台に幕末維新を書いています。
前半の主人公は「松平左近頼該」。藩主にもなれる立場ながら不遇の身に置かれ、
「偏屈、駄々っ子左近」と言われながらも正道を貫き郷土で慕われた人物です。
維新時に朝敵となった高松藩を征討軍を眼の前にして戦禍から救い、それを見届けて
病死した地元の偉人です。
創作では、左近は奇しき縁で後半の主人公である清末の将軍「劉錦棠」との絆が生まれ、
劉はアヘン戦争後の騒然とした中国清末において、太平天国の乱、新疆ウイグル地区の乱の平定に活躍する将軍となる。
今回は皆さんご存じの幕末・清末の有名人が総出演で親しみ深い作品になっています。
是非、郷土の皆さんにお読みいただきたくご案内いたします。
 
 


『継体大王異聞』の文庫本を出版しました。 投稿者:篠田耕郎 投稿日:2021/12/18(Sat) 20:30 No.554  
2年前に刊行した拙書の単行本が大好評につき、
出版社の「幻冬舎」より、さらに多くの方に
手軽に読んでいただくために文庫化の勧めがありました。
それを受けてここ半年余り、再度「継体天皇」を調べなおし、
古代史の先生方のアドバイスや最新の研究成果を盛り込み、
「改訂版」としてこの程やっと完成した次第です。
同窓の皆さんを始め、歴史に興味のある多くの方に
お読みいただければ幸せです。


ブログ 投稿者:近藤保徳 投稿日:2020/09/03(Thu) 13:21 No.553  
いつの間にか古希になりましたね。会社も完全に離れて、時折ゴルフの日々です。今までの人生をプログにしました。まばたきの向こう で検索。または https://43433614.at.webry.info/ でどうぞ。暇な時に読んでください。



今城塚古墳行ってきた 投稿者:しのはら 投稿日:2020/03/21(Sat) 19:08 No.547  
題名につき、本日行って来ました。2月初旬に「継体大王異聞」の篠田耕郎君と植田洋二君と私の3人でその本の「読書感想会」なるものを開き、久しぶりの(50数年ぶりの)再会もかねて実行した訳です。その中で讃紫雲曰く、太田茶臼山古墳も立派であるが「今城塚古墳」も必見の価値がある、自分も何度か訪問してそこにある「古代歴史館」の館長、副館長には執筆に当たっての話は参考にさせて貰ったとのことで、今日実行に移した訳です。
昨今世界中が「新型コロナウイルス」に振り回され「感染経路不明」「オリパラ実施不透明」「学校の新学期は何とかスタート出来るか」関西に至っては「大阪と兵庫間の行き来はこの3連休は控えるよう要請」…等々未だかつてなかったようなことばかりです。
前置きはさておき、前回(今年の正月)同様阪急京都線富田駅で降りて、徒歩で三、四十分の高槻市郡家新町というところに目的地はあった。まず驚いたのは「前方後円墳」とその周囲が公園になっており小高い円墳方墳のいたるところに登り道があり、生徒児童が好き勝手に昇り降りして遊んでいる。また内堀も「池」になっているところは一部だけで、前回行った茨木市の太田茶臼山古墳(宮内庁治定三嶋藍野陵)は立ち入ることはできない。内堀の大部分が芝草のグランドのようで、なんとそこでは大人も子供もソフトボールやサッカーに興じており、周囲はジョギングする人もいるといった様子だ。ちょっとショッキング(笑)
なんと庶民的な天皇だったか…また(笑)さておき肝心の今城塚古代歴史館は「お知らせ」が掲示されており「新型コロナウイルス感染予防のため3月2日から3月31日までの間休館致します」とのことでした。
歴史館は次回、開館したらすぐにでも再訪してみようと思った。となるとやっぱり「新型コロナウイルス」が速く収束してほしいと願うばかりです。


継体天皇陵 投稿者:しのはら 投稿日:2020/01/05(Sun) 16:57 No.546  
題名につき、昨日行って来ました。阪急電車に乗り富田駅で下車して徒歩3〜40分のところにあった。なんでそんなところに?というと以下のきっかけからである。
昨年末「特別養護老人ホーム○○の里」の介護職員との話の中で「○○の里」という名の由来は、大阪府高槻市○○の里、という実名からきているとのことで、早速家に帰って地図帳を広げてみると話の通りであった。
そしてその近辺を見ていると「摂津峡」とかあの懐かしの「ポンポン山」もあり…高槻市と茨木市との境目付近にあった、そう「今城塚古墳」「太田茶臼山古墳」とあり、ともに継体天皇陵」となっている。よし、行ってみようてなわけで、昨日実行に移した訳である。
大きい…木の生い茂った全長226mの前方後円墳で周りは濠で囲われてその周りも小高い土手で囲まれている。ぐるりと一周したが宅地もあったりで一時間以上も掛かった。正面からの入り口は門が開かれており手入れされた小石の道を行くと先は金網で囲われている。立ち入り禁止の芝生の上に白黒の大きな猫が悠然とこちらを見て「威を張っている」。宮内庁御用達の猫か…それにしても正月だからか?見学している者は私を
おいてほかになく何とも奇妙な感じで、私が奇妙な人なんだと納得。
遅くなりましたが行ったのは「太田茶臼山古墳」の方で三嶋藍野というところにある。「讃 紫雲」の「継体大王異聞」の中で「オオト」が全盛のとき自分の墓を見て満足して終活する場面があった。淀川から北摂の山々を眺めてその間に自分の墓が見えるということか、現代なら茨木市も高層建築物が数多あり絶対に見えない。
そんなこんなで○○の里の介護職員とSUN SIWNのおかげで奇妙なあいや貴重な体験ができた。歩いた歩数は14000歩以上で足腰が痛くなるのは二三日後か…よし令和二年も頑張るぞー。
最後に、遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。四三会の皆様、今年もよろしくお願い致します。


初めて小説本を出しました 投稿者:篠田たかお 投稿日:2019/12/09(Mon) 09:14 No.545  
この度、人生初の歴史小説本を書き上げました。
『継体大王異聞』、幻冬舎より近日中に全国の書店で発売。
筆名は故郷にちなみ「讃 紫雲」としました。
歴史が好きで、大学も歴史学を専攻しましたが、当時は
学園紛争の真っただ中で落ち着いて勉強もできず、また
研究を続ける根気も才能もなく、大学に残らず卒業しました。
一般企業に就職し、65歳で定年リタイア後また歴史に目覚め、
老人大学などで学んできましたが、趣味でが高じて今回の
出版にたどり着いたものです。
昨年の「50周年同窓会」で仲間の元気な姿にも後押しされ、
古希を迎えた記念として何とか書き上げることができました。
皆さん、ありがとうございました。


灘五郷(御影郷)巡り 投稿者:しのはら 投稿日:2019/11/06(Wed) 18:35 No.544  
昨日、菊池君のお世話になって日本酒の飲み歩きをしてきました。まず阪神芦屋駅に昼前に集合、ここでは東京から伊佐、伏見の両君、そして植田、菊池、木村(純)、篠原の計6人で芦屋土山人まで徒歩で行き、蕎麦の昼食です。すでに筒井君、それから別枝君のお兄様も来ておられました。
さてここから酒蔵巡りスタート、まずは「菊正宗酒造記念館」、酒蔵展示室は興味津々でもちろん唎酒コーナーもほろ酔い加減、続いて少し歩いて「白鶴酒造資料館」で酒造り工程にも感心、ききざけコーナーでしか味わえない純米原酒は格別です。
さらにまた徒歩で阪神御影駅では「沢の井」見学、神功皇后が化粧のため姿を映したという「御影」の地名由来の井戸…にまたちょっと感心。だいぶ歩いたので、「ケーニッヒスコローネ本店」でお茶…というよりもぜんざいで辛党甘党も3人ほどいました。
続いて「神戸酒心館」に行く途中で実川君にばったり出会い、酒心館では大吟醸福寿でこれまた白桃や梨をおもわせる上品な口当たりです。ガイドの説明があって伏見君が色々な質問をしていました。ここでは東(香川)さん森(槇田)さんそして木村(和)君も合流、同所内「さかばやし」にて夕食です。
歩いて巡り巡って美味い日本酒、ごちそうを頂きみんな大満足でした。ちなみに歩数計は18,013歩、距離は13.6キロ、消費カロリー440㎉でした。
夏場のビールもいいが、これからは、そうだ!日本酒だー!


人生七十古来稀なり 投稿者:しのはら 投稿日:2019/04/01(Mon) 16:34 No.542  
四三会の皆様、お元気ですか。私は相変わらずしぶとく生きております。今日平成31年4月1日は人生の中でも大きな節目の日かと思い、拙い文を書きたいと思います。
一つは「題名」にもありますとおり、私今月には70歳というとてつもないというか信じられない年齢を迎えることとなり、今の自分が不思議な存在のような気がする…そんな他人事のようなことを言うとばちがあたります。感謝、感謝です。
と言いますのも、「70歳を迎える誕生月の1日から」大阪市の敬老優待乗車証という大変ありがたいカードをいただき(手続きは2月に済ませていた)早速今日試乗してきた。上新庄駅前から大阪市のシティバスに乗車、淀川を越えて太子橋今市で降車で50円、そこで所用をすませて地下鉄あいや「大阪メトロ」に乗車して豊里で降車でなんと0円だあ!
これなら堺市在住の植田洋二君の所に行くとしたら、私の自宅近くのバス停からシティバス乗車、大阪駅降車で50円、メトロの御堂筋線で梅田から中百舌鳥までが0円だー!あとは泉北高速鉄道で二駅と徒歩です。今月は2回ほど遊びに行くので早速利用するでー所用時間は変わらないが、がぜん格安なのだ。
話は戻って、先ほどのメトロの降車駅の豊里(正確にはだいどう豊里)には特別養護老人ホームがあってそこには約100人の利用者が入所しているが、ちょうど昼前で約20人が集まっており寝ている人、テレビに背を向けている人、じっと天井を見上げている人…私の母はその中にいます。
そして新元号が発表され「令和(漢字変換したら一発で出た)」という何とも言えないという漢字です。集まった人の中には拍手する人、感動のような声を出す人で計3人ほど。あとは無表情で母もそのうちのひとりです。
令和も、平成の時と一緒ですぐに馴染んでくるでしょう。
それにしてもREIWAと入力したら例話よりも一番に令和と変換されるのは驚きです。
次は目玉である大阪府知事と大阪市長の選挙も間近に迫っており、「ねじれ」たらどうなるか、まだまだ「古来稀なり」などと言っておれない。
70歳の平均余命は男15,6年 女20年位だが、「昭和平成令和」とこれからも激動?の時代を生きていかねばならない。四三会の皆様これからもよろしくお願いします。


冬のグルメ会2019年 投稿者:筒井 投稿日:2019/02/05(Tue) 16:26 No.541  
2018年度冬のグルメ会
2018年度冬のグルメ会は2019年1月27日(日),菊池グルメ会長一押しのイタリアンレストラン,モード・ディ・ポンテベッキオ梅田にて開催しました.素敵なレストランに魅せられて,今回は過去最高の17名が参加.参加者(敬称略)は女性陣,東,岡部,久保,日野,村上,森,男性陣,植田,岡,加藤,木村,菊池,久保,筒井,浜野に加えて,高松から木村(純),名古屋から二宮,加えて新しく実川が加わりました.お料理もオシャレで美味しかったのですが,ワインが入るとおしゃべり優先となり,本日のレポーターとしてお料理の写真は前菜とデザートのみとなりました.写真掲示板にて雰囲気を味わってください.


平成最後の四三会? 投稿者:しのはら 投稿日:2019/01/04(Fri) 21:58 No.540  
題名につき、一昨日の1月2日5時半より「高齢」の四三会が行われました。世話役の皆様、お世話になり有難うございました。と言いますのも冒頭の会長の挨拶は新年のお祝いもそこそこに、「出欠票の返事がないので参加人数が読めない」とのこと、大変なご苦労と思います。と言いますのも、今までならセンチュリーに甘えて柔軟な対応にただただ感謝。今回開催された会場は融通が効かない、いやこれが常識で「予約数は正確に」というのが当たり前と考える。お店に迷惑をかけないこと
です。
次は恒例の物故者黙祷では驚きました。一緒に「高校三年生」を唄ったこともある彼のご冥福をお祈りします。
以下今回も、現役のときには一度も口をきいたことのない人もいつもよく話をする人もあったりで色々と参考になりました。
今までの生きざまはどうだったかとか、これからの生きざまをどうするかとか、ちょっと大げさかもしれませんが非常に貴重な話が聞けて今後の参考になったと思いました・・・ちょっと言い過ぎでした。
さて、二次会は残念ながら欠席です。マリンライナーとのぞみに間に合って大阪まで、無事帰りました。こうして新しい年(平成も残り4カ月か…)が始まりました。四三会の皆様、今年も頑張っていきましょう!


平成最後の関西玉翠会 投稿者:しのはら 投稿日:2018/10/21(Sun) 21:39 No.538  
題名につき、昨日10月20日土曜日正午から都島区の太閤園で盛大に開催されました。記憶が飛んでいかんうちに早速報告がてら筆をとりました。
我らが四三会からは植田、岡、加藤、菊池、北山、篠原、妹尾、筒井君の8名と二次会から木村、久保、濱野君の3名が参加、やっぱり高高は男子校か・・。
そんなわけでもないが、会の初めからなんと、宝塚歌劇団の高高出身の「ヅカガール」羽立光来(ハリュウミツキ)さんが登場、(^^♪すみれの花(^^♪咲くころ♪♪〜と来たもんだから一同訳300名は老いも若きもやんやの大喝采、隣にいた植田君も「来てよかった。感激した。」と嬉しがっていました。彼女は長身の男役で決して高高?年卒については明かさず、また司会者も「写真撮影やネットは禁止です。」の約束はきちんと守られ、流石紳士淑女の模範の高高生です。改めて人材の宝庫の高高に感心した次第です。
次に今夏、高校野球香川県大会で高高野球部はあれよあれよと神がかったように逆転勝ちも含めて、甲子園出場まであと1勝のところで敗退、石田監督もわざわざありがとうございます、配線の報告がてら野球部OBとの掛け合いも面白かったです。最後に壇上の3人で土下座して謝罪されたので大変恐縮しました。取り合えず秋季四国大会でまた神がかって連勝して得意の「センバツ」に出場できるように応援します。
それから今回初めて会に参加した妹尾君、長い間の海外勤務(約50か国)お疲れさん、今も時々海外出張でその合間を縫っての出席ご苦労さんです。行く先々では「オスカー」と呼ばれたのも彼の名前の「修」からきており、会社名もオスカー・プランニングです。またまた感心。
そして応援団の部ですが私は昨年を最後に引退です。、トップの「朝日輝く」は大眉君という52年卒に頼み、応援団のOBも10人を超えあとを安心して任せることができました。あ、四三会ではまだまだやらせていただきますので宜しくお願い致します。

二次会は時間の関係で省略させていただきます。以上、平成最後の関玉もこれで終了、来年からも新しい気持ちで四三会を続けて行きたいなあと思います。

投稿がうまくいかず大変申し訳ございませんでした。
四三会の皆さん、寒くなってきますが、お体を大切に、元気に新しい時代を迎えましょう。   フレーフレー四三会!
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